アサヒビール(株)池田社長の話

しもつけ21フォーラムに久々に参加する。

日時:2007年7月10日17:00〜18:30
講師:アサヒビール(株)代表取締役兼CEO 池田弘一氏
演題:「スーパードライ20周年と現場主義の経営」

会社の危機を乗り越えた経営者の本音が聞けた。
大変良い話しだった。

かいつまんだ内容

・栃木に事業所が4カ所あって、栃木で大量に取れるビール麦を
 使って生産している。

・アサヒビールの前身は明治22年創業の大阪ビール。ブランド
 名が アサヒビールだった。

・1985年、創業100年のころは、アサヒはシェア9.6%
 で存亡の危機だった。

・住友銀行から来た村井社長が一生懸命CIをやった。
 お客様の視点でビールの味を見つめ直す。→今までやっていな
 かった。

 当時一番のキリンは63%シェア、にがくて重いビールだった。
 消費者調査5000人(東京大阪)を当時初めてやって分析した。

 「コクがあるけどキレがある」ビールを目標に開発始める。
 技術陣 との衝突。

  アサヒ生ビールを売り出す。宣伝費用捻出に、創業の地を売る。
  シェア12%に伸びた。ホット一息。

・樋口社長の時代

 もっとキレのあるビールを求める。
 スーパードライを開発→バカ当たり。缶ビールの生はアサヒ
 が最初。
 初めてアサヒが先行者利益を取る。
 人の味覚は食事の変化で変わってきた、そこに目をつけた。
 ビデオ会議を始めた。

・昔は企業名がブランドだった。今は、使用目的に合わせたブランド

・崖っぷちだから改革ができた。

・瀬戸社長の時代

 鮮度重視。製造20日かかっていたところを10日に、翌年
 5日に。
 ここで他社と差別化をはかる。

・S38入社のころ、初任給2万円のところ、ビール1本150
 円だった。

池田社長の教訓

お客様の目線でものを見ること。
等身大の自分を忘れるな。

社員は社長の言葉を拒否している。言い続けなくてはならない。

企業経営は常に変わっていく
posted by 経営し隊 at 15:21 | 会社経営
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