中世修道院の厳しい禁欲の倫理の元で産まれ、宗教改革後
は信徒の貧乏な鍋の修理屋さんなどの職人たちが、かねも
うけのためではなくて、天職として社会のために専念した
という。
こうして資本主義の中心的精神である勤勉倹約等の徳性が
形作られていったのである。
中世ヨーロッパでは、商人の暴利は倫理的に最大の悪事とさえ
考えられていたそうだ。
無駄な消費はしない・
獲得した富は隣人愛、公のために役立てようとした。
それが産業革命を境に、仁義なき利潤追求を是認する資本
主義の精神に変わってしまった。
ウェーバーは、
「土台に倫理がなければ、単なる貨幣の操作からは健全な
資本主義は生まれてこない」と言った。
新渡戸稲造は、
武士道の基本的支柱を「義」に置いた。
義とは、不正や卑劣な行動を自ら禁じ、正義を遂行する
精神である。義を踏み外せば、武士道にもとる卑怯者
として糾弾された。明治維新後も「和魂洋才」として
「和魂」を残した。
会社を起こす、創業するに当たっては、こんなことも
知っておいた方が良いでしょう。